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かなり思い上がった感想(?)になってしまいました。「お前に何がわかるのか!」とむかつくかもしれないです。というか、自分で自分にむかつきます。なので、はじめに謝っておきます。本当にごめんなさい。
それでも書かないといけないと思う自分がいるのでアップしてしまう私を許してください。
では行きます。
死にたいと考えたことのある私は、自殺した人や孤独を背負って生ている人に強く惹かれてしまうところがあるのです。
自分の死にたい願望と他人の死を比べたいから知りたいのではなく、ただ純粋に死に向かっていったその人の生き様や環境、死に向かっていく力の動きが知りたい。その力がどうやって生まれてくるのか知りたい。
不謹慎に聞こえてしまうかもしれないけど、死を考えている人には重く黒い影が渦巻いていて、それはとても力強く、私にはそれが魅力なのです。強ければ強いほど、どうしようもなく吸い込まれてしまう。
死にはその人の純粋な「己」があるから。(逆に生にも「己」があることはわかってるけど、私は死の方に強く惹かれてしまう。)
死を考えてる時、他者は存在しないと思う。迷惑をかけてる自分、自分のせいで何かを壊していると意識してる自分、ここで死んだら全てが上手くいくと思う自分。他者は自分が害を与えている存在としてのみあるだけ。
そして害を与えるしか出来ない(と思い込んでしまっている)自分から解放される最終的手段が自殺だと思う。
イアンの場合はどうなのか、私にはわからないけど。
私にできることは、出来るだけ死を自分に引き寄せてそこからたどってくことしか近づくことが出来ないから。所詮自分の範疇を超えることは出来ません。
「CONTROL」を見終わったあと、妻と浮気相手の狭間で苦しんで死んだ的な色が濃く感じ、納得できず、もっと他の人の話を聞きたいと思っていろいろ見はじめたのでした。
イアンはステージに立って一曲一曲を歌っている瞬間、完全に「己」しかないなと、映画「Joy Division」の映像のイアンを見て思いました。
その姿に吸い込まれるように没頭してしまう私はイアンの「己」の部分に惹かれてるんだろうな。
イアンが自分を解き放てるのはステージだけだったんじゃないのかな。でもそのステージさえもきっと彼を追い込んだ原因の一つなんだろうなと思うと、やるせない。
私が今までJoy Divisionの音楽にそんなには惹かれなかったのは、表現しているメンバーの人となりを知らなかったからだとおもう。(ただ音楽は好きだったけど、にわかファンというやつだと思う。)調べようともしなかったし。
昔からそうなんだけど、私は洋楽に関しては本当に「音」と「詩(訳がないとわかんない程度)」だけしか聞いてなくて人となりを知ろうともしない人なんです、基本的に。本人の顔さえ知らなかったりします。
逆に邦楽は歌詞は直ぐ耳に入り意味も理解できるから、歌詞に興味をもつと演奏している人たちも知りたいなーという欲求がすぐに沸いてくるのでキッカケさえあればどんどん惹き込まれていきます。そんな適当な人です。
でも、映画「CONTROL」「Joy Division」「24hour party people」「shadow players」を見てイアンの生い立ちを知り、バンド結成の経緯をしり、取り巻く環境や人々をしり、どの時点でその曲が作られたか漠然とわかってくると、残されたJoy Divisionの曲が全然違った力を持って私の中に流れ込んでくるようになってしまった。
Joy Divisionを取り囲む人々や、彼らが活動していたマンチェスターの変貌振り(マンチェスターで「9歳の時に初めて木を見た」って発言は結構衝撃的だったです)。マンチェスターだから生まれてきた曲なんだ、とひどく納得してしまったり。
「shadow players」でのメンバーのコメントと、「Joy Division」でのメンバーのコメントはほとんど同じで、イアンが歌えないと言って変わりの人が何曲か歌い、その後イアンがちょっと歌った時の客の暴動騒ぎの事を語るフッキーは、まるで武勇伝かたるオヤジでちょっとおかしかったけど(どっちの映画でも語ってるテンションも同じだった)、そういうふうに愉快にコメントできるようになるまで時間かかったろうにな、と勝手に思ったりもした。
で、結局ここまで考えるのに、かなり死に接近することになり、人との会話もうわのそら状態が続いたりしてちょっとやばくなったりしました。
そんな状態でいるとこの先困るので、自分にもう死は考えなくていいよと言い聞かせる為に長々と書いてみました。
あんましまとまってないな、ほんとだらだらと書いた。
そんで、人一人のこと知って受け入れようとするのってかなり気力が必要なことに、今気が付いた。ああ。
でもそんだけ真剣に理解したくなる魅力がイアンにはあると思う。
死んでしまった今でも確実に。
でも完全には理解する事など出来ないのです、理解しようとする努力しか出来ない。自分じゃないから。
所詮私が少し知った気になっているイアンは、偶像でしかないのです。
それでも書かないといけないと思う自分がいるのでアップしてしまう私を許してください。
では行きます。
死にたいと考えたことのある私は、自殺した人や孤独を背負って生ている人に強く惹かれてしまうところがあるのです。
自分の死にたい願望と他人の死を比べたいから知りたいのではなく、ただ純粋に死に向かっていったその人の生き様や環境、死に向かっていく力の動きが知りたい。その力がどうやって生まれてくるのか知りたい。
不謹慎に聞こえてしまうかもしれないけど、死を考えている人には重く黒い影が渦巻いていて、それはとても力強く、私にはそれが魅力なのです。強ければ強いほど、どうしようもなく吸い込まれてしまう。
死にはその人の純粋な「己」があるから。(逆に生にも「己」があることはわかってるけど、私は死の方に強く惹かれてしまう。)
死を考えてる時、他者は存在しないと思う。迷惑をかけてる自分、自分のせいで何かを壊していると意識してる自分、ここで死んだら全てが上手くいくと思う自分。他者は自分が害を与えている存在としてのみあるだけ。
そして害を与えるしか出来ない(と思い込んでしまっている)自分から解放される最終的手段が自殺だと思う。
イアンの場合はどうなのか、私にはわからないけど。
私にできることは、出来るだけ死を自分に引き寄せてそこからたどってくことしか近づくことが出来ないから。所詮自分の範疇を超えることは出来ません。
「CONTROL」を見終わったあと、妻と浮気相手の狭間で苦しんで死んだ的な色が濃く感じ、納得できず、もっと他の人の話を聞きたいと思っていろいろ見はじめたのでした。
イアンはステージに立って一曲一曲を歌っている瞬間、完全に「己」しかないなと、映画「Joy Division」の映像のイアンを見て思いました。
その姿に吸い込まれるように没頭してしまう私はイアンの「己」の部分に惹かれてるんだろうな。
イアンが自分を解き放てるのはステージだけだったんじゃないのかな。でもそのステージさえもきっと彼を追い込んだ原因の一つなんだろうなと思うと、やるせない。
私が今までJoy Divisionの音楽にそんなには惹かれなかったのは、表現しているメンバーの人となりを知らなかったからだとおもう。(ただ音楽は好きだったけど、にわかファンというやつだと思う。)調べようともしなかったし。
昔からそうなんだけど、私は洋楽に関しては本当に「音」と「詩(訳がないとわかんない程度)」だけしか聞いてなくて人となりを知ろうともしない人なんです、基本的に。本人の顔さえ知らなかったりします。
逆に邦楽は歌詞は直ぐ耳に入り意味も理解できるから、歌詞に興味をもつと演奏している人たちも知りたいなーという欲求がすぐに沸いてくるのでキッカケさえあればどんどん惹き込まれていきます。そんな適当な人です。
でも、映画「CONTROL」「Joy Division」「24hour party people」「shadow players」を見てイアンの生い立ちを知り、バンド結成の経緯をしり、取り巻く環境や人々をしり、どの時点でその曲が作られたか漠然とわかってくると、残されたJoy Divisionの曲が全然違った力を持って私の中に流れ込んでくるようになってしまった。
Joy Divisionを取り囲む人々や、彼らが活動していたマンチェスターの変貌振り(マンチェスターで「9歳の時に初めて木を見た」って発言は結構衝撃的だったです)。マンチェスターだから生まれてきた曲なんだ、とひどく納得してしまったり。
「shadow players」でのメンバーのコメントと、「Joy Division」でのメンバーのコメントはほとんど同じで、イアンが歌えないと言って変わりの人が何曲か歌い、その後イアンがちょっと歌った時の客の暴動騒ぎの事を語るフッキーは、まるで武勇伝かたるオヤジでちょっとおかしかったけど(どっちの映画でも語ってるテンションも同じだった)、そういうふうに愉快にコメントできるようになるまで時間かかったろうにな、と勝手に思ったりもした。
で、結局ここまで考えるのに、かなり死に接近することになり、人との会話もうわのそら状態が続いたりしてちょっとやばくなったりしました。
そんな状態でいるとこの先困るので、自分にもう死は考えなくていいよと言い聞かせる為に長々と書いてみました。
あんましまとまってないな、ほんとだらだらと書いた。
そんで、人一人のこと知って受け入れようとするのってかなり気力が必要なことに、今気が付いた。ああ。
でもそんだけ真剣に理解したくなる魅力がイアンにはあると思う。
死んでしまった今でも確実に。
でも完全には理解する事など出来ないのです、理解しようとする努力しか出来ない。自分じゃないから。
所詮私が少し知った気になっているイアンは、偶像でしかないのです。
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死
自殺したい、って一度も考えたことがない人がいるって、・・・聞いた時信じられなかった!そういう人もいるんだ。すごいなあ。
死にたい時って、本当に自分のことしか考えてないです。それってまずいと思うけど、そういうものなんだな、って気づきました。
友人を自殺で失った経験があるので、残された自分たちは「残された者のことを考えて、自分たちは自殺だけはやめよう」って言いあったけど、でも、自分の時はきっと自分のことしか考えないんだようなあ。
でも、さくらちゃんもこれを読むであろう私の友達も、chrisのことを考えて自殺は思いとどまるように!chrisが大泣きしますから(ってわがままじゃん!)
私もイアンのことがすごく知りたくなってます。普通の伝記ってないのかなあ。マンチェスターっていう街もとても特殊だと思います。初めて行ったのは86年で、もうかなり綺麗になっていたんだろうと思うけど、それでも今と比べると、すごくすごおく、暗い街でした。でも、大好き。
マンチェスターに行く気になったら、ぜひ一報お知らせくださいね。
死にたい時って、本当に自分のことしか考えてないです。それってまずいと思うけど、そういうものなんだな、って気づきました。
友人を自殺で失った経験があるので、残された自分たちは「残された者のことを考えて、自分たちは自殺だけはやめよう」って言いあったけど、でも、自分の時はきっと自分のことしか考えないんだようなあ。
でも、さくらちゃんもこれを読むであろう私の友達も、chrisのことを考えて自殺は思いとどまるように!chrisが大泣きしますから(ってわがままじゃん!)
私もイアンのことがすごく知りたくなってます。普通の伝記ってないのかなあ。マンチェスターっていう街もとても特殊だと思います。初めて行ったのは86年で、もうかなり綺麗になっていたんだろうと思うけど、それでも今と比べると、すごくすごおく、暗い街でした。でも、大好き。
マンチェスターに行く気になったら、ぜひ一報お知らせくださいね。
>chrisさん
私も、みんな口にはしないけど、誰でも自殺を考えたことあるはずだとつい最近まで思い込んでました。
自殺考えないって、物凄く健康な精神な気がします。そして私は病んでるんだとわかってても、再度自覚させられる、みたいな。
私も友人を自殺で失ってます。でも…ああ、こういうこと言うと引かれちゃうかもしれないけど…、私の場合、その友人はもう何度も何度も呆れるほど自殺未遂を繰り返し、復活したらしたで生活ひっかきまわされ、その又後には自殺未遂をまたするような友人だったので(境界性人格障害だった)、正直なところ本当に死んでしまっても涙どころか、悲しみも寂しさも感じられず、安心してる自分がいたのです。
そういう自分が嫌で嫌でどうしようもなく許せなくなった。今でも。
そんな、人が死ぬ事によって安心してしまうような私がいるのだから、同じようにやっぱり私のことを疎ましく思う人がいて、そういう人には私が死んだら平穏な生活が帰ってくるんじゃないかな、と思っちゃいます。
chrisさんのことを思って思いとどまるようにがんばりますが、本当に死のうと思ってたら何も誰にも言わずに行動する自分がありありと想像されてしまうのですよ。お気持ちだけいただきます。ありがとうございます。…あ、私はまだ死なないですよ?
あとchrisさんがいなくなっちゃったら大泣きしますから!(結局自分勝手)
ホント、普通の伝記が読みたいですよね。でもやっぱり、イアンに生続けてもらって「あのときはこういう気持ちだった」とかそういう話を聞きたかったな。
マンチェスター、工業地帯であったことはインタビューなどで何度も言われてたので漠然とこんな感じかな?と想像してたんですけど、「Joy Division」で流れてた当時の映像見て想像を遥かに越えていてかなりショックうけました。
はい、行く時はご一報いたします。というか行けるものなら今すぐ行きたい気持ちですよ!
自殺考えないって、物凄く健康な精神な気がします。そして私は病んでるんだとわかってても、再度自覚させられる、みたいな。
私も友人を自殺で失ってます。でも…ああ、こういうこと言うと引かれちゃうかもしれないけど…、私の場合、その友人はもう何度も何度も呆れるほど自殺未遂を繰り返し、復活したらしたで生活ひっかきまわされ、その又後には自殺未遂をまたするような友人だったので(境界性人格障害だった)、正直なところ本当に死んでしまっても涙どころか、悲しみも寂しさも感じられず、安心してる自分がいたのです。
そういう自分が嫌で嫌でどうしようもなく許せなくなった。今でも。
そんな、人が死ぬ事によって安心してしまうような私がいるのだから、同じようにやっぱり私のことを疎ましく思う人がいて、そういう人には私が死んだら平穏な生活が帰ってくるんじゃないかな、と思っちゃいます。
chrisさんのことを思って思いとどまるようにがんばりますが、本当に死のうと思ってたら何も誰にも言わずに行動する自分がありありと想像されてしまうのですよ。お気持ちだけいただきます。ありがとうございます。…あ、私はまだ死なないですよ?
あとchrisさんがいなくなっちゃったら大泣きしますから!(結局自分勝手)
ホント、普通の伝記が読みたいですよね。でもやっぱり、イアンに生続けてもらって「あのときはこういう気持ちだった」とかそういう話を聞きたかったな。
マンチェスター、工業地帯であったことはインタビューなどで何度も言われてたので漠然とこんな感じかな?と想像してたんですけど、「Joy Division」で流れてた当時の映像見て想像を遥かに越えていてかなりショックうけました。
はい、行く時はご一報いたします。というか行けるものなら今すぐ行きたい気持ちですよ!